李 贊煕(イーチャンヒ)司祭のメッセージ


                                    
                              
                  『私と一緒に歩いてみませんか?』      
                                         
                             仙台聖フランシス教会牧師
                           東北教区 司祭 ドミニコ 李 贊煕

                                             (聖フランシス教会 2016年4月号・月報) 

 今、私たちは私たちの生活の方向と目標、生き方、手段と方法を失ってすべての人がさまよっています。
サハラ砂漠の西側にはサハラの中心と呼ばれる小さな町があります。毎年少なくない旅行者がここを訪問するために砂漠を訪れます。しかし、レビンという人がそこを発見するまでは、その村は全く開放されていない遅れたところでした。ここの人々は一度も砂漠を出たことがありませんでした。多くの人々がこの不毛なところを去りたくて脱出しようとしたが、一人も成功した人がいなかったのです。レビンは信じることができなくて、手まねで村を離れることができなかった理由を聞いてみました。人々の答えは、すべて同じでした。
「どちらの方向に行っても、最終的には、最初に出発した場所に戻って来てくださいましたよ。」
彼はこの言葉が事実であることを実験してみるために直接北に向かって歩いて、3日後に砂漠を脱出することができました。その後、村の人々は、なぜ抜け出せなかったのだろうか?レビンは村の青年の一人を連れて実験をしました。11日目に、村の人々の言葉通り、彼らは再び原点に戻ってきました。レビンは、最終的に、彼らは砂漠を脱することができなかった理由を知っていました。まさに町の人々がすべて北極星の存在を知らなかったのです。レビンは前回の実験に参加した青年を連れて、再び一緒に出発しました。そして、日中は十分に休息し、体力を惜しんだが、夜に北極星に従って歩いていると、砂漠を脱出することができるだろうと話してくれました。青年は、三日目に砂漠の境界地域に到達することができました。その青年は、後日砂漠の開拓者となり、彼の像の下に、このような文句が刻まれています。「新しい人生は方向性を見いだすことによって始まる」
そうです。人は年齢に関係なく、人生の目標を定めたその日から、真の人生の航海が開始され、以前の日々は、ただ回し車を回す生活なのです。私たちには私たちの生活の旅のアシスタントになる「北極星」のようなものが必要になります。人生の目標がそのような役割をするということです。
イエス・キリストを知ることが永遠の命であり、永遠の真理です。
トマスが「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」と言いました。
イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(ヨハネ14:6)と言いました。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28〜30)
聖フランシス教会の皆さん主に向かって幸せな旅を私と一緒に歩いてみませんか?