李 贊煕(イーチャンヒ)司祭のメッセージ


                                  
                              
                        『み言葉の生活』      
                                         
                             仙台聖フランシス教会牧師
                           東北教区 司祭 ドミニコ 李 贊煕

                                             (聖フランシス教会 2016年5月号・月報)
                         

 迷信的な宗教で信仰生活をしている人たちに必要なのは、自分たちが信じて仕える神の能力だけだ。神の意志や言葉にはあまり関心がない。神の意のままに生きるために信仰生活をするのではなく、神の力で自らの意志と欲を達成するために彼らは信仰生活をする。
私たちクリスチャンも、私たちが信じて仕える神の力を必要とする。しかし、神の力に劣らず大切にするのは、神の言葉である。クリスチャンは、自分の欲と意のままに生きるより、神の意志とみことばどおり生きよう努力する。そして、クリスチャンたちは、その言葉の中に、神の力が現れると信じている。実際、神は言葉で天地万物を創造され、その言葉でこの世界万物を支配しておられる。
クリスチャンの信仰は、神の力を借りて、私の欲を満たすとき、天国の生活が表示されるのではなく、私の欲との考えを捨てて、神の言葉と意のままに従順しながら生きて行くとき、神の国があると信じており、それは事実である。
したがって、我々キリスト教は言葉を離れては存在できない。それにもかかわらず、多くの信者が言葉を残して信仰生活をしている。迷信に仕える人々のように、神の言葉ではなく、神の力だけ執着する信仰生活をしている。神に仕えるので迷信とすることはないが、迷信的なレベルで、神を信じて仕える人々がどのくらいかもしれない。
したがって正しい信仰生活のために御言葉生活の訓練のように重要なことはない。聖書を読んで黙想し、説教を聞いて、その御言葉通り従順で、そして徹底的に訓練して練習しなければならない。充実した御言葉の訓練を通して迷信的なレベルの信仰生活から抜け出し、真のクリスチャンとしての人生を生きて行かなければならない。