李 贊煕(イーチャンヒ)司祭のメッセージ


                                  
                              
                        『信仰の金メダル』      
                                         
                           仙台聖フランシス教会牧師
                         東北教区 司祭 ドミニコ 李 贊煕

                                         (聖フランシス教会 2016年9月号・月報)


 先週、世界のスポーツのお祭り、オリンピックが閉幕しました。
「オリンピックで最も重要なのは勝利ではなく、参加」と言いながらも、勝者と敗者の差が天と地の間と同じくらい大きいのは仕方ないようです。
もちろん、敗者になっても、より感動な事情を残す人もいるが、勝負の世界は冷酷です。
メダルを取って栄光と喜びを感じる選手たちの後に、過去数年間の努力が無駄になって、
人々に注目されないまま苦い心を撫でる選手がはるかに多いです。
信徒たちは、霊的なオリンピックの選手と同じです。
試合で勝者と敗者が割れられるように、聖書は信徒たちに聖霊が教会に言われる、言葉を聞いて霊的な戦いで勝利を得る者にならなければならないと言われます。
賞を得るために必要なことが、聖書の真理です。そして、勝者の中にも金メダル、銀メダル、銅メダルが授与されるように、一人一人の功績に応じて上級があるとも言われます。
どうせなら、信仰の金メダリストになればどのくらい良いでしょうか?
金メダリストになる自分の考えを殺し、霊の思いを捨てなければならない。
信仰生活が成熟ほど空の賞を見上げるようになって、霊的な目が開かれるほど、
永遠の賞を眺めながら走って行くことです。

 目標意識を持った人は、信仰の本質を離れることなく、本質的に充実します。
強くしてくださるイエスにあって忠実に訓練されます。勝利への情熱の前では、
どのような困難も障害されることがありません。
人間が成長して発展することは、苦難や困難があったとしても、目標に向かって情熱と
献身があるときです。
世界の誘惑や困難の前に妥協せず、黙々と汗と涙の訓練で勝って出て行った
選手たちの首にメダルがかかったように、
十字架の道を歩いて行った人たちには信仰の金メダルがかかります。