李 贊煕(イーチャンヒ)司祭のメッセージ


希 望 を 抱 い て
      
                                     
仙台聖フランシス教会牧師
東北教区 司祭 ドミニコ 李 贊煕
(聖フランシス教会 2017年7月号・月報

巻頭言

夜が深いほど星の光はよく見えます。 静かな静寂が流れる闇は明け方を待つ産婦と同じです。そしてその闇は決して光に勝つことができません。

イスラエルの国民らは国を失って数百年もの間、異民族の侵略を受けても生きてきました。多くの人々が異民族の文化と信仰に同化されたりもしました。 そしてその中で適度に安住して比較的平安な生活を得ました。しかしそのような苦難の歴史の中でも最後まで神様との約束と未来に対する希望を捨てなかった人々がいます。 いくら闇の勢力が世の中を支配して抑圧しても希望を失わないで未来に向かって希望の火を消さない人々が存在しました。義に徹した祭司ザカリアがそのような人です。たとえ年を取って何もできなかったとしても、彼は救いの夢と希望を決して捨てなかったのです。そのような彼に天使が降りてきてヨハネの誕生を預言しました。信仰がそうさせたのです。もしザカリアがあきらめたとすれば応答はなかったでしょう。 また、その天使の話を聞いたとしても信じることができなかったでしょう。 しかし彼には希望がありました。

洗礼者ヨハネはこのように希望の種として、将来近づく未来の希望を抱いてこの世の中にきました。彼は苦難の歴史の終わりに新しい歴史の開始を知らせる最後の預言者です。人は弱いが信仰は強いといいました。世の中の多くの人々があきらめても、信仰者はその不可能の中で可能性を探す人々です。その可能性を信じるので信仰者は挫折しません。 故に常に希望の光を胸に抱いて今日を生きています。