李 贊煕(イーチャンヒ)司祭のメッセージ


イエス・キリストの復活
      
                                     
仙台聖フランシス教会牧師
東北教区 司祭 ドミニコ 李 贊煕
(聖フランシス教会 2018年5月号・月報

巻頭言

奉仕と仕えること

司祭:ドミニコ 李 贊煕 

ヨハネによる福音書155節に「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」という話があります。イエス様がぶどうの木、私たちがその枝として例えられたみ言葉です。枝はぶどうの木についていなければ実を結ぶことができないのと同じように、私たちがイエス様から離れては実を結ぶことができないことを教えてくださいました。反対に枝がぶどうの木についていれば実を結ぶことができます。同じように私たちがイエス様についていれば実を結びます。要するに、私たちはイエス様から離れては何者にもならないし、何事もできないということです。

  信仰生活をする中で一番気をつけることが次のことです。イエス様と関係なく自分の意志や努力によって何かをしようとすることは間違いです。そのようにすると、よくなれば自分の義を自慢する高慢になります。また、よくなくなれば自ら絶望し、落ち込んでしまいます。

  信仰生活をする中で一番重要なことが次のことです。イエス様に繋がる生活を維持することです。それではどのようにすればイエス様に繋がるようになれるでしょうか。それはイエス様が自分の中にとどまり、自分がイエス様の中にとどまることです。分かりやすく言いますと、いつもイエス様を心に迎えて生きることです。 イエス様と自分がお互いの中にとどまる生活ができれば、多い実が結ばれます。救いの感激と喜びの実が、上から来る平安の実が、互いに赦し、愛する実が、すべてに感謝し満足する実が結ばれます。今ぶどうの木に繋がる枝として生きているかご自分を点検して見てください。