笹森司祭のメッセージ


                                    
                              「主よ、永遠の平安を彼らに与え、絶えざる御光をもって照らしてください」   
                                         
                             仙台聖フランシス教会嘱託牧師
                           東北教区 司祭 アタナシオ 笹森伸兒

                                               (聖フランシス教会 2015年11月号・月報) 


私は、81歳を過ぎた今は、車の運転をやめてしまいましたが、以前運転するときよく、モーツアルトのレクイエムを聞きました。いつ運転を失敗しても、「レクイエム・エテルナム(永遠の平安)」が与えられますようにという意味で祈りながら運転していたのです。

 レクイエムとは元々は、冒頭の祈りの「永遠の平安」という言葉の「平安」とか、「安息」という意味で、ミサ曲という意味はありませんでした。死者のためのミサ曲が、「レクイエム・エテルナム」という言葉で始まるので、死者のためのミサ曲を「レクイエム」と言うようになったのは、あるいは、ちょうど「主よ、憐れみをお与えください」が「キリエ・エレイソン」いう言葉で始まるので、「キリエ」と言うのと同じです。

 教会は、聖公会もカトリック教会も、11月1日に諸聖徒日、すべての聖徒を記念してきました。また、その翌日の11月2日は諸魂日で、すべての逝去者を記念します。伝統的には、11月2日の諸魂日には主を信じて世を去ったクリスチャンを記念する日でしたが、私は、神様が祝福して命をお与えになったすべて世を去った人を記念するのが諸魂日ではないかと信じています。そうでないと、たとえクリスチャン以上にキリストの教えに従い、実行している人でも、洗礼を受ける機会がないまま世を去れば、その人はそのまま救いには入れられないことになってしまうからです。

 主イエス様は神の国の福音を私たちに伝えてくださいました。ですから、クリスチャンであると言うこと、洗礼を受けるということは主イエス様に従うという大切な生き方です。世界中の人が主イエス様に従うようになるために、教会は、また、私たちはすべてをお献げしています。その現れの一つとして、今世にある人々と同じように、世を去った人たちのためにも、「レクイエム・エテルナム(永遠の平安)」が与えられますように祈りましょう。私たちへの
福音の掟です。先ずは11月1日、今日の礼拝後、皆で墓参に行きましょう。