管理牧師加藤主教のメッセージ


                        イースター・メッセージ 〜 ひとりが一人を!? 〜
                                               
                             仙台聖フランシス教会 管理牧師
                           東北教区 主教 ヨハネ 加 藤 博 道

 主のご復活の祝いの季節を迎えようとしています。季節もちょうど長く寒い冬が過ぎ、春めいてくる時です。イースターそのものが「春のまつり」「いのちのまつり」と言ってよいものと思います。新しい希望が芽を吹くこと、あるいは失われていたものが回復される、そうした「再生」を祝う季節でもあります。
 「ひとりが一人を」という言葉は、BSA(日本聖徒アンデレ同胞会)で用いられてきたと思います。一人が一人の信徒を獲得していけば、信徒数は倍になります。しかしそうした「信徒倍増」の掛け声としてでなくても、一人の人が一人の人を教会の信仰に導くということは、大変なことであり、もう一度考えてみてよいことと思います。本当に自分が気にかけている誰かがあるか? その人のことをいつも心にかけ、機会をみては声をかけているか、何よりも祈っているか。そういう意味では、この言葉は、自分自身の信仰を問い直す言葉となります。そして本当に難しいことです。また「一度教会(の礼拝)に来てみて」と言うときにも、自分たちの礼拝の姿、祈りの姿はその人にどう伝わるだろうか、という不安も持つことになるでしょう。もちろん本当に一人の人を御許に招くのは神様の為さることで、人間が人為的な工夫で勧誘するものではありません。しかしそれでも、神様の招きは、多くの場合、人を通してやってきます。きっかけを作ったり、あるいは逆にせっかくの「芽」を潰してしまったりします。わたし自身、主教という立場で「多くの人を導いている」「堅信式も授けている」立場と言わなくてはなりませんが、本当に自分が心にかけ、導いた(「導く」というよりは「共に歩もう」と努めた)人が何人いるだろうかと考えると、本当にそれは限られたものです。
 かつての勤務教会でも、聖書研究会を通して、信徒になった方が数人おられます。大変嬉しいことでした。今でもつながってくださっているようです。その場合も、わたしの聖書研究の話が良かったというよりも、いっしょに聖書を読むことを通して、語り合ったり、お茶を飲んだり、そして親しい仲間になっていった教会の人たちの力が大きいのです。教会の「交わり」の中に招き入れていく力、です。自分たちの信徒の交わりが親しいのは、もちろん良いことです。しかしもう一歩、自分も前に出て、自分の信仰も問い直しながら、新しい仲間を迎えようと心を開いていくこと、それはやはり新しい希望に通じるものと思います。


             
                   
                                 

                              (聖フランシス教会5月号・月報 巻頭)


                
                                          

                <日本聖公会東北教区主教。仙台聖フランシス教会管理牧師。加藤博道>