管理牧師加藤主教のメッセージ


                       「霊的な旅」を共に歩む
                                               
                             仙台聖フランシス教会 管理牧師
                           東北教区 主教 ヨハネ 加 藤 博 道

 かつて東京教区がアメリカ聖公会のメリーランド教区と交流をしていた時のこと、訪問団の一員として同教区を訪ねる機会がありました。その時のわたしの関心は、一つは女性の司祭たちの働きのこと、もう一つは「聖職志願のプロセス」に関するものでした。聖公会神学院の働きや教区の聖職養成委員会に関係していました。日本聖公会の場合、聖職を志願することを考えた人は、まず牧師に相談するでしょう。そして教会の人、教区主教等々。もちろん何故聖職を志願するのか等、教会委員会で話をさせられたりします。それはとても良い機会になっていると思います。話しているうちに、また人の反応を受けとめているうちに、それまで気づいていなかったこと、見えていなかったことが見えてきます。それにしても、日本の場合はまだまだ聖職になることは個人的な歩みという感が強いように感じます。メリーランド教区の場合、というよりもアメリカ聖公会の場合でしょう、その人の教会の中に信徒のいわば「共に歩む」チームが作られ、一緒に悩み考えていきます。教区にも、いろいろな段階でその人が自分の召命感を確認し、「識別」(discern)するプロセス(discernment process)が確立しており、自分の召命が信徒としての召命なのか、執事なのか(終身執事職が大変豊かな働きをしています)、それとも司祭職の召命なのか、繰り返し識別する機会が与えられます。それから神学校に行きますので、神学校に入ってから、自分の召命や方向性で悩むということは基本的にはないと聞きました。神学校は専門的な教育の場です。日本の場合には、神学校が悩み思い巡らす場所になっています。
 そういう話題を話し合っている時、一人の女性信徒の方が、自分も教会での聖職志願者を見守るチームのメンバーであると言い、「いっしょに霊的な旅を歩んでいる幸せ」と言われたことが忘れられません。spiritual journey という言葉の響きの美しさも印象を深くしているように思います。ただ聖職志願者を見守るというのでなく、そのことを通して、自分も自分の信仰、召命(あるいは使命、どのような働きであっても)を見直す機会となるのでしょう。そして聖職志願者に対してだけでなく、教会全体が「霊的な旅を共にしている」のだと思います。
 現在、聖フランシス教会は一人の聖職候補生、神学生を送り出しています。彼の成長を祈ると共に、わたしたち教会自身も、共に歩みながら、霊的に成長していく、そういう視点を忘れずにいたいと思います。
             
                   
                                 

                              (聖フランシス教会5月号・月報 巻頭)


                
                                          

                <日本聖公会東北教区主教。仙台聖フランシス教会管理牧師。加藤博道>