管理牧師加藤主教のメッセージ


                              インカーネーション
                                               
                             仙台聖フランシス教会 管理牧師
                           東北教区 主教 ヨハネ 加 藤 博 道


 「インカーネーション」とわざわざ片仮名英語で言う必要もないのですが、日本語では「受肉」と言われる事柄です。主キリストがわたしたちの中に、わたしたちと同じ肉体をとって宿られた。言うまでもなくこれから迎えようとするクリスマスの主題です。ですから、クリスマスは主イエスの「お誕生」のお祝いというよりは、教会的に言えば「受肉・降誕」の祝い、そして「顕現」(この世に顕れた、とくに闇の中の光として、異邦人に自らを示されたこと)のお祝いであると言った方が、より正確であろうと思います。聖公会は「受肉」の信仰に強く立っていると、伝統的に言われてきました。もちろんどの教派、カトリックであっても、プロテスタント教会であっても同様なのですが、やはり少しずつそれぞれの強調点はあります。とくにプロテスタント系の教会では、もっと強く十字架による贖罪(わたしたちの罪を贖ってくださったこと)が強調されていると、やや誤解を恐れずに言えば―言えます。もちろんキリストの十字架の死と復活はキリスト教信仰の核心であり、その十字架によって「罪人であるわたしたちが救われた」ことは、これもキリスト教信仰の核心です。

 にもかかわらず、聖公会では、物凄く深刻な罪の意識の強調、したがって悔い改めの強調というよりは、もう少し人間に対して楽観的な、はっきり言えば肯定的なものをお感じになるのではないでしょうか。聖公会には、どうも人間とこの罪の世界に対する厳しい反省と悔い改めというよりは、「現実を良しとする」面があると。ただそれでいいとは申しません。しかしそこにあるのは、聖公会の中に底流する受肉の信仰なのだと思っています。確かに罪深いわたしたち、この世界であるけれども、その人間と世界を神は愛して、わたしたちの弱さと限界のしるしである肉体をとって、わたしたちの中に宿られた!そういう意味ではこの世界に対する根底的な肯定があります。貧しい小さなパンと、わずかの杯が大きな恵みのしるしとなるのも、神様の創造されたすべてに対する感謝と肯定があるからです。そこから出発して、またそうだからこそ、この世界、環境も、人間の命の尊厳も、否定されていくことを許さない、世界と命を愛する眼差しが生まれてくるのです。「受肉の信仰」インカーネーション、お心に留めていただければ幸いです。


                                                (聖フランシス教会2014年12月号・月報 巻頭)
                             
                
                                          

                <日本聖公会東北教区主教。仙台聖フランシス教会管理牧師。加藤博道>