管理牧師加藤主教のメッセージ


                       新・主教座聖堂と大震災3周年
                                         
                             仙台聖フランシス教会 管理牧師
                           東北教区 主教 ヨハネ 加 藤 博 道


 来月3月になると、1日には東北教区主教座聖堂・仙台基督教会の竣工、礼拝堂聖別式があり、続いて11日には東日本大震災の3周年の日を迎えることになります。
 当時の教区会館の2階にいて、激しく揺さぶられたあの時のことを思い出します。「大変な地震だ、倒壊もあり得るかも知れない」とは思いましたが、その後、今日に至るまで、これほどまでに多くの人の人生と生活に影響を与え、日本社会、少なくとも東北地方に消えることのない打撃を与える事柄になろうとは、そこまでは想像も出来ずにいました。
 あれから3年。主教座聖堂・仙台基督教会の再建にしても、「だいじに・東北」の活動にしても、記念礼拝にしても、全てがそこから始まってきたわけです。人との出会いの経験にしても、それまでとはずいぶん違うものでした。東北の地を訪れたこともなかった実に多くの方たちが、東北の地に足を踏み入れ、それぞれの経験をし、思いをもって帰っていかれました。3月1日には全教区からの代表(主教、または教区代表)も来られます。3月11日には盛岡、仙台、福島の3か所での礼拝に、分かれてですが、全教区主教が参加されます。仙台での礼拝(11日、午後1時。記念聖餐式)には植松誠首座主教も来られる予定です。
 わたしたち自身は、このことを通して、どのように変わっていくのでしょうか。大変人聞きの悪い言葉ですが、震災後比較的早い時期に、ある他教区の司祭がこういうことを言われました。「この震災を通して、東北教区には『焼け太り』して欲しい」と。普通、焼け太りとは悪い印象の言葉です。例えばこの震災で支援のお金が多く入って、かえって得をするようなことです。わたしたちはもちろん決してそんなことを望みません。しかしその人が言ったのは「この大変な経験を通して、東北教区が教会として、信仰共同体として、かえって強められ、霊的に豊かになって欲しい。またそれこそが多くの人の犠牲を無駄にしないことではないか」という
意味でした。
 あまり変化に惑わされず、淡々と生きていく生き方もあるでしょう。しかし外からどう見えるかはよいとして、わたしたちの中で、この大きな経験、多くの人の犠牲を忘れずに、教会としての歩み、あり方、働き方を誠実に見つめ直し、新たな思いで一歩を踏み出す、そういうこともあってよいと、またあって欲しいと願うのです。



                                             (聖フランシス教会2014年2月号・月報 巻頭)
                             
                
                                       

             <日本聖公会東北教区主教。仙台聖フランシス教会管理牧師。加藤博道>