管理牧師(教区主教)メッセージ
加藤博道.日本聖公会東北教区主教。5月30日、仙台基督教会における説教
日本聖公会の礼拝は「祈祷書」にしたがって行われています。そしてその祈祷書の中の祈りは、
場合によっては2000年のキリスト教の歴史において、長く祈り続けられてきた古典的な祈り、
また礼拝式文を伝えています。毎週日曜日に行われる聖餐式の中心部分、パンとぶどう酒の聖別の祈りは
「感謝聖別文」(カトリック教会では「奉献文」)と呼ばれますが、その祈りの結びの部分は、聖霊に関する
教会の信仰を要約した素晴らしい祈りの言葉と言えます。ご一緒に味わってみましょう。
「み前でこの聖なる賜物にあずかるとき、わたしたちを聖霊によって新たにし、主の愛によって生かし、
み子イエス・キリストの体である教会のうちに結び合わせ、天の全会衆とともにみ名をあがめさせてください」
(『日本聖公会祈祷書』176頁)。
「み前でこの聖なる賜物にあずかるとき」、わたしたちが共に聖餐に与る時、ということです。
「わたしたちを聖霊によって新たにし」「主の愛によって生かし」「キリストの体である教会のうちに結び合わせ」、
そしてすでに世を去った人々、天の全会衆と共に、神様のことを賛美させてください、というのです。
まさにこれらのことは聖霊の力によると、ここでは言われているのです。
「新しくされること」「愛によって生きること」、わたしたちが互いに「結び合わされること」、
そして「共に神を賛美すること」。
聖書の中には「悪霊」という言葉が出てきます。古代の人々の表現として、人格的な表現がされていますが、
悪霊というのは聖霊の反対の働きをするとすれば、先に述べたことの反対、「新しくされないこと、古いものに
しがみつき、古い自分に囚われていること」、「互いに愛のうちに生きていないこと」、「結び合わされることの
反対にバラバラであること」は、悪霊の働きなのだと言えるのでしょう。
聖餐式のもっとも重要な部分の祈りは、パンとぶどう酒を聖別するというだけでなく、そこに集う全会衆の上に、
聖霊の祝福を祈り求めているのです。
この聖餐に集うわたしたちが、また全ての人々が、「新しくされ」「愛のうちに生き」「互いに結び合わされ」、
そして一緒に神様を賛美することが出来ますように。多くのしがらみに囚われ、愛によって生きることが出来ず、
そしてますますバラバラに分裂していくように見えるこの世界の中にあって、教会が祝う「聖霊降臨日」は、
決して現実離れした神秘的な祝日ではありません。
今、まさにこの時代が、そしてこの世界がもっとも必要としていることを、教会は聖餐式の中心部分において、
祈り続けているのです。
神様の御力、生命の息吹、聖霊の力を、主よ、どうぞわたしたちの上に注いでください。
そのことを祈る教会は、不完全ではあるにせよ、いつも世界全体が「新しくされ」「愛によって生き」
「互いに結び合わされるものとなる」ように、その使命をもって生き、働いているのです。
<説教者 主教 加藤博道>
日本聖公会東北教区主教。仙台聖フランシス教会管理牧師。
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