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シスター・マリヤ
教会付属聖クリストファ幼稚園の創立に深く関わりのある
 シスター・マリヤの紹介をします。
 
 シスター・マリヤ・マーガレット
Sister Mariya Margaret
(1900.6.29-1994.6.6.)


    福音の使者 シスター・マリア・マーガレット

    1994年(平成6年)6月6日、シスター・マリヤが95歳の誕生日を前にして逝去されたとの訃報は、
    本当に悲しい知らせでした。
    シスターの逝去1か月記念礼拝で、村上主教様は次の聖書の一節が、シスターのご生涯を表しているように思われますと、
    述べられました。それは、聖パウロの言葉(テモテU 4:6-8a)のように、戦いを立派に戦い抜き、決められた人生の馳せ場を
    走り通された方だということです。

    シスターは、1900年(明治33年)6月29日メキシコ、サン・ルイ・ポトシで生まれました。両親はメソジスト教会の宣教師、
    父は教団の医師でもありました。
    西バージニア州チャールス・タウンの聖ヒルダ専門学校のピアノ科、コロンビア大学教員養成所、イリノイ州エバンストン市
    州立教育大学を卒業。教育学士を取得。幼稚園・小学校の教師となり、また、その指導に当たられました。

    1928年に来日。京都にて日本語を勉強した後、日本聖公会奈良基督教会附属親愛幼稚園の園長として勤務されましたが、
    1939年に帰国されました。

    その後、オハイオ州グレンデールの変容貌修女会に入り、霊的修道生活を始められました。終戦後、中村主教より
    青葉女学院を再興したいので、青葉女学院と幼稚園を開設するために、シスターを派遣してほしいと修女会に要請がありました。

    1956年、シスター・アースラと、シスター・マリヤが仙台に着任し、変容貌修女会仙台支部が開設されました。その年の9月、
    聖クリストファ幼稚園が開園し、初代園長として15年間、幼児へのキリスト教教育・宣教と育成のために働かれました。

    シスターにはたくさんの思い出があります。彼女はご自分の意志をはっきりとおっしゃるとともに、一歩も譲らない姿勢を
    もっていました。
    ある日「宮田さん、寝袋のサンプルを作ってください。明日の保護者会で説明してください。」「えっ、寝袋ですか?」
    「子どものお昼寝のふとんです。」「そんな‥‥できません。」「おー!試してください。」と。翌朝、「宮田さん、お早うございます。
    できましたか?」と明るい声。仕事においてはいつも「試してください。」が口癖でした。

    キリストの心を心とし、幼な子をキリストにつなぐために、正直にはっきりした信念をもって、神様から贈られた魂を愛し
    育てられたのだと思います。ときには彼女を困らせたり、苦しめたりした私たちでした。しかし今は、それも私たちを一層深く
    シスターとを結ぶ思い出となっています。

    1956年、聖フランシス教会が聖別されたのですが、当時の教会の祭服、備品などの多くは、修女会からの寄贈によるものでした。
    青葉女学院が閉校した後、青葉静修館として発足しましたが、物的援助もさることながら、聖職者、幼稚園教諭の静想会には、
    あたたかいお力添えをいただき、今なお幼稚園教諭の静想会が継続されています。

    シスターが帰国されてから修女会を訪問しましたが、お部屋には大きな日本地図が貼ってあり、思いは、いつも仙台にありました。
    シスターの下で働き、幼児教育の尊さをいろいろな角度でお教えくださったことが、
    今までこの仕事を続けられた原動力になっています。今改めてシスターのことを想い起こす機会を与えられ感激です。      

                                  宮田松子 記   (東北教区報「あけぼの」1999.7.4より転載)
                 



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